最近、ある「仮説」について考えている。

 

向かないことや、自分以外の誰かにできることをどんどん辞める、もしくは諦めたほうがいい。

そして、評価されていなくても、自分にしかできないことや、好きなことに注力すると結果的に最大限のパフォーマンスを残せるのではないか。

 

これは、個人的に感じてることで、言い換えると「サラリーマンやアルバイトなど、代替えが効く労働で登っていくのはあきらめよう。

そして、自分にしかできないことと好きなことを、ただ、コツコツと積み重ねよう。できればユーザー目線も考えながら。

こういうことだ。

今朝、こんなツイートを読んで考えた。

 

 

自分は、頭の回転や、視野の広さで勝負するのは向いていない。

 

いわゆる、現代のホワイトカラーではそこそこ、やれるけどぶっちぎることはできない。

 

その辺はもう諦めてもいいんじゃないかと思う。

社会に出て、たくさんの優秀な人を見た。

勝てないな、と思うことがたくさんあった。

ただ、それは多くの場合は代替えのきく「労働」だった。

もちろん、凄まじい戦略や、知識、人脈、いろんなものを持つ人を見たけど、結局、いかに要領よく、そして広い視野と洞察をもって、生み出す利益を最大化できるか、という資本主義のゲームなのだ。

どうやら、ここにはあまり向いていないようだ。

 

たどり着く

しかし、先ほどの「結果にたどり着く」というゲームではなかなか、しぶとく柔軟に対応できる。

頭のキレはないけど、どんな場所にも身をよじり、前進していける。

 

それは、今進行中のサウンドエンジニアとしてのプロジェクトでも感じている。

人間同士が、心をぶつけながら、完成に向かっていく作業。

しんどい。

でも、今まで貯めてきたシステムコントロールの知識と、エンジニアリングの知識でしぶとくプロジェクトを進めていける。

 

自分にしかできないこと

そして、もう一つ「自分にしかできないこと」。

その一つはブログだ。

京都に移住し、日々走り、仕事をし、音楽制作に携わる。

その諸々を、書き留めているこのブログは唯一無二だ。

今、180人くらいの固定読者がいる、この小さなブログ。

 

ゆるーくいこう

仕事をバリバリ頑張って、収入も平均以上で、家族がいて、趣味があって。。。と、結構ハードルが高い「普通の人生」が日本人には刷り込まれてる。

だけど、そんなのもうどうでもよくって、働くのが向いていない人が働くことに身を粉にすることは社会にとっても、自分にとってもよくない。

一生懸命やっても大したことなくって、好きでもないことに頑張るのはやめよう。

そこは、ゆるーくあきらめてもいいんじゃないか。

そして、好きなことと、代替えが効かないものにじわりとシフトしていく。

 

人工知能が人の仕事に代わっていくのなら、なおさら「好きで、代わりの効かないもの」をみつけてじっくりと積み上げるべきだ。

そんなことを考えている夜。

ねよう。