息子は5年生。

さほど勉強しろとは言わないし、結局中学受験もしないことになった。

今夜はなぜか、なぜ勉強をするのかを語ってしまう場面になった。(なぜ??)

自分自身は息子には勉強はしてもしなくてもいいと言って来た。

ただ、今日話をしながら一つのある出来事を思い出した。

 

それは、勉強をしてきたんだろうなという若いミュージシャンの弾き語りを聴いた時のこと。

京都のライブハウスの飛び入りライブデーの日のことだった。

ある、別の地元のミュージシャンは明るく、さわやかに歌ってた。でもなぜだろう?胸にぐっとこなかった。

表層的というか、切り取っている世界の薄さを感じた。

時々、いるんだけど耳障りもまあ悪くはなくって、明るいミュージシャン。

でも面白くはない。それは多分切り取ってる世界の薄さ。

 

わざと薄く切り取ってるのかと思いきや、それが全部だったりする。

 

さっきの、勉強して来たんだろうなというミュージシャンにもどる。

いろいろ、数式や、屁理屈をこねくり回してそうなやつだった。

でも、なんかいろんな思考を重ねて来たことがわかる音楽だった。

それはその彼自体のオリジナリティーと相まって独特の深さと味わいを生み出していた。

 

多分、勉強するってそういうこと。

この世界をいろんな切り口で切り取れるようになること。沢山のナイフを持つこと。

 

 

例えば、物理で習った「物質波」。

全ての物質は静止していても「物質波」という波を生み出し続けていると言うお話。

 

豊臣秀吉が使った一品でさえも今もまだ物質波を生み出し、それは「永遠」に繋がるような話になってくる。

 

たったひとつ「物質波」を知っているだけで、世界は少し違って見える。

 

 

英語や、数学、古典や、漢文。

色々習ってほとんど忘れたけど、きっと世界を見るための望遠鏡を色々とぼくらは見せてもらったんだ。

 

それがきっと勉強だぜ。

世界の切り取り方をたくさん身に付けること。

そうやって、息子に今日は話をした。

 

勉強はしてもしなくてもいい。

それよりも、好きなことをしっかりやれ。

それが息子にとっては今はゲーム。

 

でも、世界の切り取り方を、切り取り方の雛形を知っておくことも悪くはないよ。

 

しかし、これだけ「検索エンジン」が普通になるとグーグル様が世界の窓の第一番手になる。

これってどうなんでしょうね。。。

 

そうそう、そんな話をしながら父親である自分はあとどのくらい世界を違った見方で見れるのかなと思って少し焦ったような、まあしゃーないと諦めたような。そんな気分になった。

 

この歳になると、目をしっかりと曇らせずに生きて、少しでも多く心揺さぶられるような視点に時々トランスファーしたいな。

まだまだ!!