おはようございます。

京都移住日記のオクダ(@kyotoijuunikki)です。

 

キョンキョンのこの本が素晴らしくって思うとことろがあったので今日はそれを書きます。

 

 

死について語るキョンキョン

モテモテだった幼馴染の男の子の死について語るキョンキョン。

強くて、ユーモアがあってカッコよくなった思春期の彼。

でもキョンキョンは彼が小さな頃に外に出されて夕闇に消え入りそうな切なさで泣いていた姿を知っています。

そして本当に18歳の頃に夕闇に消えるように排気ガスを一人で吸って死んでしまった彼。

きれいな死に顔をしていたそうで、「近所に住んでいる時よりもお空の方が近い気がするよ変なの」という形で結びます。

 

 

そしてもうひとつ死について語るお話があって、キョンキョンよりも少し若かったある有名なアイドルが飛び降り自殺をしてしまったお話。

夢の中に彼女は出てきてキョンキョンと話をするくだりがあります。

「どうしたの?」とキョンキョンが問いかけると。

「ううん。なんでもないの。ただ少し疲れちゃって。これが私の寿命だったんだと思うの。」と静かに答えます。

 

そしてキョンキョンは答えます。

「そうなんだ。だったらいいけど、でも淋しいよ。」

彼女はうふふと恥ずかしそうに笑った後に「ありがとう、嬉しいです。」

と答えます。その笑顔と声も昔と同じでやっぱり可愛かったと。

 

「あれからずいぶん時間が経った。少女のままの彼女をうらやましく思うほど私もずいぶん年をとった。」と結びます。

 

 

死に対峙した時の絶妙な軽さ

この2つのお話に共通するのはキョンキョンの死に対する絶妙な軽さです。

もちろんその死に直面した時は驚いたでしょうし、少なからずショックを受けたと思うんんですが軽いんですよ。そしてその軽さ、ポップさとキョンキョンの魅力が繋がっている気がします。

死って実はそんなに遠いところにあるお話じゃなくて、日常と繋がっててそんなに深刻になってもしょうがない。そして死んだ人たちのことももちろん愛してるよ。

そんなことが伝わってきました。

おそらくそういうスタンスでいるのはキョンキョンの生命力の強さによるものだろうし、だからあんなにずっと輝いているのでしょう。

 

そして死が日常にある感覚は「下町感覚」だとも感じます。

昨日まで普通に挨拶してた近所のおじいちゃんが急に死んじゃってお葬式。とか。

ご近所さんが近い下町の中では死も普通に日常の中の1ページだった気がします。

 

飛び降り自殺の現場に遭遇したこと

個人的な経験ですが、飛び降り自殺の現場に遭遇したことがあります。

その時に冷静に人工呼吸や救命活動を行った人の姿を見てぼくはこの人はすごいな。と思いました。

その人とは一緒によく走る仲で、事件の数日後に一緒に一緒に山を走りました。

「大変だった思うんですけど、なんかムカつくんですよね」

「そうやね。おれも飛び降りなんかしてあいつにばかやろーと言いたいよ。」

 

そんな会話を二人で山頂で静かにした記憶があります。

過ぎ去ってみればとても大事な記憶です。

 

 

いつか誰も迎える死。

遠い世界の話じゃなくて日常の中に実はある。

その死をどういう風に捉え、向き合うか。

それは生きること、生命力につながる大事な何かなのかもしれません。

 

今日も良い1日を!

 

 いつも読んでいただいてありがとうございます🎵

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